鉛色の空の下で 5






雨はサンジを容赦なく打ち、前髪がうっとうしく顔に張り付いた。
スーツもすっかり水分を含んで重かったけれど、さして気にならなかった。
ゾロのことだけが気懸かりで、ただひたすらに走った。

港から続く大通りを抜けると、酒場や娼館の立ち並ぶ界隈に出た。
手前に見える酒場は結構ゾロ好みだ。だけど多分ここじゃない。
最初に目に付いたところに決めることはまれで、大概少し奥へと進んでいくのだ。

雨のせいで人通りはほとんどなく、緑の髪の剣士の行方を尋ねることは出来ない。
サンジは自分の勘だけでゾロを探さなくてはいけなかった。
歩調を落とし曲がり角で立ち止まっては横道にある店の佇まいを確かめる。
ここじゃねえ、ここでもねえだろう。
知らず覚えたゾロの好みを頼りに店を探す。

雨は少しずつサンジの体温を奪い、歯がカタカタと鳴り始めた。
走りどおしで上がった息のせいで呼吸が苦しく、サンジからまともな思考力も奪われていく。

割と大きな横道にあった1軒に目が留まった。
店構えはシンプルだが造りからこだわりが感じられ、いかにもゾロ好みだ。
こういった店の店主とは酒の趣味が合うんだよ。
よくゾロがそう言っていたのを思い出す。

ぱっと見は普通の酒場だが、周囲の店の軒先でたむろしているのは明らかに男娼で、
この近辺の店はいずれも、そのテの趣味の者たちを客層としているのはおのずと知れた。

木戸を開け中に入って店内を見回すと、果たしてゾロはそこに居た。
目に飛び込んできたのはその周囲を取り巻く男たちで、
雰囲気からして性的な目でゾロを見ているのは確かだった。

考える間も無く体が動いていた。





手前に居た二人の男が吹っ飛び、鈍い音を立てて壁に叩きつけられた。
周囲の者たちが異変に気づいて殺気立つが、目の前にいるのはズブ濡れのスーツ姿の優男で、
とても大の男二人をブチのめした様には見えなかった。

「野郎、なんの真似だ!」

中でも屈強そうな男が数名前に出て脅しの効いた声で凄んだが、スーツの男は一向に怯む気配がない。
それどころか、剣呑な雰囲気を纏ったまま一歩、また一歩と近づいてくる。

「・・・・・そいつから離れろ」
スーツの男が震える声で言った。

退かないのであれば蹴り飛ばすとばかりに、第二の攻撃に備え物騒な脚が閃く。
その異様な雰囲気に気圧され、動けずに居る面々に容赦の無い攻撃が加えられようとした瞬間、
「よせ」
ゾロの静かな声がして、サンジは振り上げかけた脚を止めた。

知り合いだから、と周囲を制して自分へと歩み寄るゾロに、
サンジはずっと反芻していた言葉を伝えようと口を開いた。
つもりだった。

「ゾロ・・、俺・・・、俺・・・、あの・・、ゾロ・・、」
カタカタと歯の根が合わず、息も上がったままなせいか上手く話せない。

ゾロがばつが悪そうに、場所を替えるか、と訊いて来たが首を横に振った。
誰が聞いていようが関係ない。
自分がどんなに酷いことをしていたのかに気づいたということ。
許してもらえるかどうかはともかく謝りたいのだということ。
それを真っ先に聞いてもらわなくてはいけない。

しばらく「ゾロ」と「俺」を繰り返していたが、一向に言葉にならない。
焦れば焦るほど呼吸は苦しくなり、思考もまともに働かなくなっていた。

「お前、泣いてンじゃねえよ」
ゾロが乱暴にごつい手でサンジの頬を拭ったので、
サンジは自分が泣いているのだとようやく気づいた。
息が上がっていたのではなくて、しゃくりあげていたのだ。

店主がおずおずと声を掛けてきた。
「お客さん、お連れさんの格好はちょっと困るんですが・・・」
ズブ濡れのサンジからはポタポタと雨の雫が垂れ、床が濡れてしまっていた。

チッと舌打ちして店主のほうを振り返ったゾロが、オヤジ、上の部屋は空いてるか、と訊いた。
「今日はダブルしか空いていないんですが」
と店主が答え、ゾロは一瞬躊躇したが、それでいい、と言って部屋を取った。





不機嫌そうなゾロに腕を取られ、半ば引き摺られるようにしてサンジは階段を上った。
案内された部屋は簡素な造りで、あくまで酒場が本業で宿の経営には力を入れていないようだった。
備品の類も必要最低限しかなく、お世辞にも手入れが行き届いているとは言えない。

サンジはまだぶつぶつと、ゾロ、俺、と言っていたが、唇などは紫色で体が冷え切っているのは
見ただけでも分かった。

ゾロは取り合えず、ぐっしょりと濡れているスーツを脱がした。
シャツも肌にぴったりと張り付いてしまっていて、脱がせるのにかなり苦労した。
身体を温めるには風呂だ、と思いついてゾロはサンジを風呂場へ押し込んだ。

棒立ちになっているサンジを押しのけてシャワーコックをひねったが、
シャワーヘッドから出るぬるい湯には勢いがなくて、冷え切った体を温めるには程遠かった。
「からだ洗え」
ゾロが声を掛けてもサンジはかたかたと震えながら泣くばかりで、全く動こうとしなかった。

仕方なく自分も服を脱いで洗い場へ入った。
髪を洗おうとして、あ、こいつはシャンプーなんて小洒落たもんに気を使ってたっけか、
なんて考えがフと頭を過ぎったが、備え付けのものは安物の石鹸しかなかったので
盛大に泡立ててからガシガシと洗った。

普段は隠れている左目があらわになったが、サンジは咎めるでも隠すでもなく、
ただされるがままになっていた。
ゾロはサンジの肩から胸、腹、背中、脚と洗いながら体中の傷を確かめた。
ひとつひとつを指でなぞりながら丹念に洗ってゆき、
最後にサンジの手指を指の股まで丁寧に洗い上げた。

サンジが自分の身体の中で何よりも大事にしている、器用な手。

その大事な指ですらゾロのするがままにさせていることが
サンジの頭の混乱具合を物語っているようだった。

自分を嬲り、翻弄してきたサンジの手─────。
ふと悪戯心を起こしたゾロはその指先を口に含み、舌先でちろちろと舐め転がした。

サンジは久々に感じるゾロの粘膜の感触に、弾かれたように顔を上げた。
おずおずとゾロへと手を伸ばすと顔の輪郭を確かめるようになぞり、
唇に触れるだけのキスをする。

拒絶されないとわかって、そこかしこに赦しを請うように唇を当てた。
かつては嬲るように執拗に愛撫を施されていた場所に、点々と柔らかな感触が触れるのがもどかしくて、
ゾロは自分からサンジの唇を求め、歯列を割って舌を絡ませた。
「もうわかった、いいから、抱けよ」
ぶっきらぼうにゾロが言って、サンジは初めて、欲しくて欲しくて、ゾロを抱いた。





全部わかってた。
お前がどんなときに俺を誘うのか、
本当に欲しいものがなんなのか。
俺は身体だけでもお前が手に入れば良かったから
それでもいいと思ってた。
でも俺は欲張りなんだよ。
てめえの全部が欲しいと思っちまったんだよ。
俺ばっかりてめえが好きみてえで、嫌だった。






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2008.3.6