鉛色の空の下で 3






「島が近いわ。順調にいけば明日の昼には着くと思う。」
夕食を取りながらナミが言った。
せわしなく給仕をしているサンジのほうへ顔を向けながら、
「今回最初の船番は、順番からいくとサンジくんなの。大丈夫?」
と訊ねる。
船番の順番は決定事項で、通常都合を聞かれることなどめったに無い。
ナミの口調に小さな違和感を感じながら、サンジは普段どおりを装って答えた。
「もっちろん、ナミさん。きみの仰せなら喜んでッ」
「おねがいね」
ナミはそれ以上は言わずに他のクルーの方へ顔をめぐらせた。

次の島では2,3日停泊するので宿を取ること。
二日目の船番はフランキー。

連絡事項を流し聞きしながら、サンジはゾロのほうを窺った。
ゾロはすでに食べ終わっていて、腕組みして話を聞いていた。
横に座っているチョッパーに笑いかける様子も、
ウソップの軽口に破願する表情も、ルフィを小突く仕草も、
小憎らしいくらいいつもどおりのゾロで、ただ、サンジへと向けられる視線だけが足りない。

あれ以来話もしていない。
こうして自分に対してではない話し声をただじっと聞いているのは不思議な気分だった。

ゾロの空いた食器を片付けようと手を伸ばすと、動作に驚いて反射的に動いたゾロの手に触れた。
久々に触れるゾロの体温に、ビクリと手が跳ねた。

「あ、わりィ─────」

指先が全部覚えていた。
肌の感触、敏感な場所。
全身で触れていない場所など無かった。
ゾロ自身が触れたことの無いであろう場所にまで、この指をもぐり込ませていたというのに、
今は手の甲ですら遠かった。

硬直するサンジに、クルーの空気も一時固まった。
我に返り片付けを再開すると、周りの雰囲気も和らぐ。
きっと皆分かってんだろうな。
周りの様子にサンジは思う。
関係にまで気づいていなくとも、様子がおかしい事は皆知っているのだろう。

連絡事項が済み、ご馳走様、の声とともにひとり、ふたりとダイニングから出て行く。
珍しく最後まで残っていたルフィがサンジをまっすぐに見据えて言った。

「サンジ」
「なんだ、」

「俺は、信じてるからさ、サンジのことも、ゾロのことも」
「─────おう、」

曖昧な返事をするサンジをルフィの強い光を放つ目が射抜く。
いたたまれない数秒が過ぎて、ルフィは、に、と笑い、サンジの肩をポンとたたいて出て行った。





夜の見張りはウソップだった。
夜食を持って見張り台へあがって行くと、サンキュ、と声がかかる。
いつも以上にウソップは饒舌だ。
バカ話を尽きずまくし立ててサンジを笑わせようとしている。

ああ、こいつにまで気を使わせちまってるんだな。

サンジは適当なところで話を切り上げ、食器は後でキッチンへ戻しておけよ、と告げて
見張り台を降りようとした。

「サンジ、」
「・・・あ?」

呼び止めておきながらウソップは最初口ごもった。
「何だよ?」
水を向けるとしばらくして意を決したように言った。
「お前らはさ、お似合いなんだよ、いや、変な意味じゃねえよ、あー、いや、変な意味でもそうだけど」
「─────なんだそりゃ」

「うまく言えねえけど、お前らふたりが並んで立ってるの見ると安心すんだよ、親父とお袋みたいで。
 いや、変な意味じゃねえよ、あー、いや、変な意味でもそうだけど。」
「・・・お前、ワケわかんねえこと言ってっとオロスぞ」

ちょっとビクつきながらウソップは続けた。
「だからさ、何があったかよく知らねえけど、今までみたいに戻ってくれりゃあいいな、と思うんだよ。
 そんだけ言いたかったんだ、悪いな、呼び止めて」

元に戻れるのだろうか。
すっかり自分に嫌気が差しているに違いないゾロに、なんと言えば元通りになってもらえるのか、
サンジには全く見当がつかない。

「─────そうだな、戻れりゃあいいな」

サンジ、と呼ぶ声を背に、ひらひらと手を振りながら見張り台を降りた。
ゾロに向かって投げかけるべき言葉が見つからない。
夜空は相変わらず厚い雲に覆われていて、道行を示す星はひとつとして見えなかった。





夜が明けても空は暗いままだった。
昨日よりさらに低く雲が垂れ込め、空気にも雨の匂いが混じっていた。

サンジはぼんやりと朝食の支度をしていて卵焼きをうっかり少し焼きすぎてしまい、
いつもより若干香ばしいそれを食卓に並べた。

ナミは一瞥し、ふうと溜息をついて「らしくないわよ、サンジ君」と言った。
焼き加減を失敗することも、それを食卓へ出してしまうことも、
今までには無かったことだ。

「ごめんね、食材が尽きかけててさ、無駄にしちまうのも良くないし」
「そのことじゃないわよ」

ナミの口調は柔らかだったけれど、少し怒っているようだった。
「誰かのことに気を取られて、ほかの事に注意がいかないんでしょ、」
バレバレよ、とナミは腰に手を当てて言う。

「バカなんだから」
「はは、ひでえな、ナミさん」
煙草をもてあそびながらサンジは笑った。

「大事なものが何なのか、分かってないのよ、サンジ君は。
 無くしちゃいけないものってあるの。」

真剣な口調。
サンジの笑顔はひきつっていく。

「今手放しそうになっているものは、多分、サンジ君が思っている以上に大事なものよ」

聡明なナミは全て分かっているのだろう。
とぼけることも出来なかった。
笑おうとしたけれど、ただ顔が歪んだだけだった。

「手放しそう、じゃなくて、もう無くしちまったんだよ、ナミさん」

搾り出すようにそう言うと、ナミの表情も歪んだ。

「ホント、バカなんだから」






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2008.1.16