サンジが相手にゾロを選んだのには理由があった。
バラティエを出て数日して悪天候に見舞われた。
たいした嵐でもなかったが、それが逆にサンジの恐怖心を煽った。
荒い波音やうねり、さまざまなものが一晩中耳を苛みほとんど眠れなかった。
俺は今までどうして過ごしていたのか。
いくら考えても眠れぬ夜を過ごした記憶が無かった。
ああ、そうか。
パティやカルネたち、コック仲間は嵐の日には大概宴会を開いていて、
それはサンジが気持ちよく酔っ払って寝てしまうまで続き、
一人で過ごすことはほとんど無かったのだ。
自分は護られていた。
荒っぽい男たちは何も気取られること無く自分を護っていた。
自分が別れを告げてきた場所は、そういう空間だったのだ。
それから幾度かの嵐の日には、酒を飲んで眠るようにしていた。
次第に酒量が増え、翌日にひびき始めるようになり、
もうひとつの解決方法に考えが及んだ。
年少の連中に甘えるのは気が引けた。
みな一様に大きさの大小はあっても心に傷を持っていた。
自分ばかりが辛い訳ではないのは分かっているつもりだった。
ゾロならば。
同い年の剣士は死をも怖れずひたむきに野望へと突き進んでいく。
強靭な精神。自分にはないもの。
あいつならば自分の闇をぶつけてもビクともしないような気がした。
最初からそりが合わず、こちらはともかく向こうは嫌っているように思う。
おかしな誘いをかけて軽蔑されても、これ以上関係が悪くなりようが無い。
万一乗ってくればめっけものだ。
男相手の経験はなかったが、知識はあった。
抱くのでも抱かれるのでもどちらでも良かった。
「─────ッツ」
ナイフの刃が指先を抉った。
料理中に手を切るなんて、料理人失格だな。
自嘲しながらサンジは自分の手を見つめた。
深手ではないがみるみるうちに紅い玉が浮かぶ。
血の色を見ながらサンジは思い出す。
あの日鷹の目に斬られて飛び散ったゾロの鮮血。
そして、初めて身体を繋いだ時にサンジ自身が流させた紅いすじ。
軽く頭を振って想念を振り払うと、サンジは船医のもとへ向かった。
傷はたいしたことは無いが、あいにく手持ちの絆創膏を切らしていた。
医務室へ向かう途中で見上げると、夕闇が迫る空はまだ厚い雨雲に覆われていて、
青墨をぶちまけたような陰気な色合いに染まっていた。
料理をしていて手を切った、とチョッパーに告げると、
「めずらしいね」
と言って手際よく傷口を消毒して絆創膏を貼った。
処置が終わると前に置いた椅子にちょこんと座り、チョッパーはサンジの顔を覗き込んだ。
「元気がないな、サンジ、具合でも悪いのか、」
「具合?俺は見てのとおり元気だけど、」
おどけて答えると、無邪気な瞳でさらに聞いてくる。
「ゾロと喧嘩でもしたのか、」
ゾロと喧嘩をしないとそんなに変なのだろうか。
俺たちは周りからどんな目で見られていたのだろう。
サンジは出来るだけ平静を装って答えた。
「してねぇよ、ここ数日」
「ちがうよ、喧嘩しないのは喧嘩してるからだろ、」
「なんだそりゃ、チョッパーお前、言ってることが変だぞ、」
茶化してもチョッパーは真剣な表情を崩さずに言った。
「誤魔化さないで、サンジ。ほんとはわかってんだろ」
みるみるうちに大きな瞳が潤んでくる。
「サンジの力になりたいんだよ、正直に話してくれよ。
辛そうなサンジを見てるのは耐えられないんだ」
「チョッパー、俺は別に─────」
「俺には話せない?俺じゃ頼りない?」
サンジはぬいぐるみみたいな手触りの頭をさわさわと撫でた。
「頼りなくなんかねえよ、立派な船医さんだ」
「─────嘘だ、そんなこと思ってないくせに」
チョッパーの瞳からは大粒の涙がこぼれ始めた。
「ホントだよ、俺の心配してくれてるじゃん」
「当たり前だろ!!医者である以前に仲間だろ!!
仲間同士が仲悪そうにしてたら心配するのは当たり前だ!!」
えぐえぐとしゃくりあげ始めたチョッパーをなだめようと
サンジは触り心地の良い背を撫でた。
彼は本当に良い船医だ。
健康管理も精神面のケアも引き受けようとしているのだ。
自らのエゴでゾロを利用していた自分とは違う。
チョッパーは意を決したように顔を上げ、サンジの瞳を覗き込みながら言った。
「サンジ、俺見ちゃったんだよ、ゾロと、サンジが、その、」
隠しおおせていると思っていたサンジは軽く息を呑んだ。
この愛らしいトナカイの目に自分たちの姿はどんな風に映っていたのか。
歪で、淫らで、空疎な自分たちの関係は。
「・・・そっか」
喉をついて出た声は案の定乾いた掠れ声だった。
びっくりしたろ、と聞くとチョッパーはこくりと素直に頷いた。
「ごめんな、気持ち悪かったろ」
チョッパーは勢い良く首を横に振った。
「気持ち悪くなんかないよ」
「はは、そんな訳ねえだろ、気ィ使うなよ」
自嘲気味にサンジが言う。
「ホントだよ」
強い口調でチョッパーが言った。
「ゾロの顔しか見えなかったんだけど、ああ、ゾロはサンジが好きなんだ、って思った。
好きだからこういうことしてるんだ、って」
「─────ゾロ、が、」
「サンジの顔は見えなかったけど、きっとサンジもゾロが好きなんだって思った。
なんていうか、その、触り方、とか、抱き方、とか」
チョッパーは恥ずかしそうだった。
人間だったら真っ赤になっていただろう。
「見てちゃいけないのは分かってた。でも目を離せなかった。
見てる間、俺もすごく幸せな気分になれたから」
そんなはずはないんだ、チョッパー。
俺がゾロとしていたのは、そんなイイものじゃねェよ。
自分がどんな表情でゾロを抱いていたのか、もう思い出せなかった。
一番欲しかったのは眠りで、ゾロの気持ちも身体すらも二の次だった。
自分があの誇り高い男にどんな仕打ちをしていたのかを思うと、
サンジはみぞおちのあたりが凍るように冷たくなっていくのを感じた。
チョッパーの体温でその冷たさを溶かして欲しくて、
サンジはトナカイの小さな身体を胸に抱き込んだ。
「ごめんな、ごめん、チョッパー、ありがとな」
「・・・サンジ、」
「喧嘩じゃねぇんだ。ホントだ。俺があいつを怒らせちまったんだよ。
俺が悪いんだ。酷いことをしてたんだ。どうやって謝っていいかわかんねぇ」
目の奥がツンと痛んだ。
サンジはチョッパーの毛皮に鼻面を突っ込んで、その温かな体温に身を任せながら
流れ出ようとする涙を必死で堪えた。
2008.1.11