もう終わりにする。
ゾロが言った。
そのときのサンジの反応は、は?何言ってんだお前?だった。
何しろそのときの状況は、二人とも半裸で、お互いの熱を散々ぶつけ合った直後だったからだ。
最初に誘ったのはサンジだ。
溜まってんだろ、やんねえか?とコナを掛けた。
いいぜ、と応じたゾロとはその後3日と空けずに身体を重ね続け、
いい加減お互いの身体で触れていないところはほとんど無い。
「─────最近仲間も増えたろ。別に俺より都合のいい相手もいるんじゃねえのか」
ゾロの言っている内容がうまく飲み込めない。
ロビンのことか、フランキーのことか。
年上の美人考古学者はともかくとして、半サイボーグの船大工に
全く食指が動かないのは見ていて判りそうなものだ。
「どういう意味だよ、」
張り付いたような舌をどうにか動かしてそう言うと、ゾロが全く無表情に続ける。
「てめえは俺じゃなくてもいいんだろ、茶番に付き合うのには疲れたんだよ」
意味がわからない。もう一度、どういう意味だ、と繰り返した。
「てめえが必要としてんのはダッチワイフですらねえ。いいとこ抱き枕か睡眠導入財だ」
衣服を着けてじゃあな、と立ち去るゾロを、サンジはただ呆然と見ていた。
天候はずっと曇天で、海は低くうねり続けている。
サンジはこういう天気が一番苦手だ。
いっそ嵐のほうが良い。嵐であれば、クルーは航海士の下一丸となって
船を守る為に働かなくてはならない。
帆をたたみ、舵を切る。浸水すれば海水を掬い出す。
やるべき仕事は山程あって、無駄な考え事をしているヒマはない。
キッチンで煙草を燻らせながら、下ごしらえの手を止めて窓から外を覗く。
晴れ間は一向に見えない。
今にも雨が落ちてきそうでありながら、雨もまた降ってこない。
今日もまた嵐の気配だけを孕む夜が来るのか、とサンジは軽く溜息をついた。
ただでさえ翌日の仕込みで宵っ張りのサンジは、皆が寝静まってから床につくことが多い。
すでに大音量のいびきの洪水と化している男部屋で寝付くのは生半可なことではない。
まして海のうねりが聞こえる中で、どうやって眠りにつくと言うのか。
頭の中に渦巻くのは幼い日の記憶だ。恩人から脚と夢を奪い、幼いサンジが自らに見えない枷をかけたあの日の記憶。
ゾロとのセックスは、そういう頭の中のごちゃごちゃを振り払うのにうってつけだった。
適度な開放感と、適度な倦怠感。発散しあった後には心地よい眠りが訪れた。
それが手に入らない今、どうしたらいいのかサンジにはわからなかった。
とりとめの無い物思いは、控えめなノックの音で破られる。
「お邪魔してごめんなさいね」
落ち着いたアルトの声がかかり、ロビンがキッチンへと入ってくる。
「お邪魔だなんてとんでもない、飲み物?コーヒーかな?
ご所望のものを今すぐお作りしますよ、レディ?」
殊更に明るくおどけてみせるサンジにロビンは意味ありげにくす、と笑い、
コーヒーをいただける?と言って椅子に腰掛けた。
「元気がないのね、何か悩み事?」
「何でもないよ、俺、元気でしょ?」
ロビンは笑みを崩さず続けた。
「剣士さんと喧嘩でもしたの?」
「─────してないよ、ここ何日かは全然。静かなもんでしょ」
何でもないふうを装ったけれど、内心の動揺が隠せたかどうかは自信がなかった。
ロビンは9つ年上で、自分たちの年齢でのこの年の差は大きい。
自分のようなガキの嘘など大人の女性には全てお見通しのように思えた。
「あなたたちのあれは、喧嘩じゃなくてじゃれあいでしょ?
それをここ数日見ていないから、ああ喧嘩してるのね、と思ったの。
何かあったの?」
「何もないよ?」
貼り付けたような笑いを浮かべてドリップしたコーヒーを差し出すサンジに、ロビンは寂しげに言った。
「私じゃ信用おけないかしら」
サンジは返す言葉を捜したが、すぐには見つからなかった。
その短い沈黙が隠し事の存在を肯定しているかのようで、気まずい空気が流れた。
「私はあなたより少し歳を重ねているから、何かアドバイスしてあげられるかもしれないわ。
それなりに恋愛の経験も積んでいるつもりよ」
「─────恋愛?」
思いがけない言葉にサンジは声を上げた。
あれは恋でも愛でもない、ただの性欲処理だ。
いや、処理ですらねえって言われたんだっけか。
「恋愛って誰と誰の、」
とぼけるサンジにロビンは溜息をついた。
「話すつもりはないのね」
落胆振りに申し訳ない気持ちになりながらもサンジは言った。
「本当に悩み事なんてないよ。それに、あったとしても自分で何とかしなきゃなんねえんだ」
ごめんね、と続ける。
ロビンは一瞬目を伏せた後、姉のように微笑みながら言った。
「そうね、コックさんは強い人だからそうかも知れないわね。
でも話したくなったらいつでも言って。
悩み事って聞いてもらうだけでも随分楽になるものだから」
コーヒーありがとう、と言うとロビンはキッチンを出て行った。
女性にしては長身の、細身の背中にすがりつきたい衝動を必死で抑えた。
ロビンは悲しく複雑な過去を持った大人の女性だ。
きっと優しく話を聞いてくれるだろうし、頼めば慰めてもくれるかもしれない。
それでもすがるわけにはいかなかった。
ゾロにすがって、突き放されたら今度はロビン、というわけにはいかない。
いくら自分が駄目な人間でも、そこまで堕ちたくはなかった。
すがるわけにはいかない。
すがるわけにはいかないのだ。
2007.12.29