コンパートメントV 3
















重い足取りで帰宅したゾロは、父から改まって「話がある」と告げられた。

今日進路説明会があることは、学校からの便りで両親も知っていた。
ただ、春先に行われた第一回の進路希望調査と今回とで、
志望先を変えた生徒の自宅へは、連絡が入っていたらしい。

都内の私大へと志望先を変えたのは、ゾロの一存だった。
学校からの電話を取ったのは幸い父だったようだ。
寝耳に水だった父は、母には内容を伏せたまま、
事情を訊こうとゾロの帰宅を首を長くして待っていた。


「ゾロ、どうしてもd大でなくてはダメかな、」

母が早めに就寝した後、台所で父が小さな声で話始めた。


どうしてもそこでしか学べないというのなら仕方ない。
だが、もしも地元の大学でも学べるのだったら、
そうしてくれないだろうか。

母さんが。
まだ─────。

いずれお前も巣立って行くことは理解している。
これから先の大学生活で、サークル活動であるとか、研究室であるとか。
家を開ける機会は増えてくるだろう。
そのあいだに少しずつ、お前がいないことに慣れていけると思うんだ。

もう少しだけ母さんに、いや、私にもだな。
時間をくれないだろうか─────。


そう穏やかに語る父に、抗う術をゾロは持たなかった。



翌日ゾロは発熱した。
熱を出すのは何年ぶりだったろうか。

風邪でも引いたのかと、母がしきりに心配して様子を見に来たが、
どこが痛いかなど口が裂けても言えない。
ぼんやりと天井を見ながら一日過ごした。


熱が引いたので登校すると、すぐに進路指導の青キジに呼ばれた。
電話で父と話した内容について簡単に説明され、もう一度よく話し合うようにと告げられた。

「ん〜、まだ時間はあるけどね〜、
 早めに志望校絞った方が有利だからね〜。」
「はぁ・・・。」

「こればっかりは自分の一存では決められないからねぇ〜。
 ま、しっかりやんな。」
「・・・はい。」

進路指導室を出て教室に向かうと、ゾロの席の前の机に
サンジが腰かけていた。
待っていた、のだろう。
窓の外をぼんやりと眺めているその横顔は、西日に朱く照らされていた。

「なんだ、待ってたのか」
「!」

弾かれたようにサンジが振り向く。
ゾロを見つめるサンジの瞳は、僅かに濡れて、熱を帯びているようだった。

「青キジに呼ばれて出ていくのが見えたからさ・・・。」
「─────ああ。」

「話、終わったのか、」
「ああ。」

九月の半ばを過ぎても、日中は蒸し暑さが残っていた。
ジージーと鳴く蝉の声だけが教室に響いていた。
ゾロは手早く帰り支度を済ませると、カバンを肩に引掛けて
サンジの方へ向き直った。

「帰るか。」
「・・・おう。」

自転車を押して歩く。
何となく乗る気になれずに、二人して自転車を押してとぼとぼと歩いた。

「青キジ、何だって、」
「ああ、」

「進路の件だろ?」
「ああ。」

再び沈黙が落ちる。
ゾロが口を開くのを、サンジはじっと待っていた。

「親父がな、手ぇついて、頭下げて頼むんだ。」
「・・・・・。」

「4年地元で我慢してくれってな。
 卒業までには自分がなんとかするからって」
「うん。」

「おれは何も言えなかった。」
「───うん。」

何をなんとかするのかは、自明だった。
青キジの話はほぼ間違いなく、志望校を県内の公立に戻す話
だったのだろう。

「志望校を都内の学校に替えたのは、おれの一存だった。
 おまえの件だけじゃねえ。
 それだけは本当だ。」
 
言われるまでもなくそれは本当だろうと今は思う。
後で冷静になってみて、昔から自らの進む方向性について
しっかりとした信念を持っていたゾロが、
自分との関係だけを理由に進路を変えるはずが無かった。

「確かに一因ではあったがな。
 一番大きかったのは、おふくろのことだ」

淡々と話すゾロの声には抑揚があまり感じられない。

「知ってるとは思うが・・・ここのところ随分良くなってたんだ。
 この間おれが山道で迷った件でまた前に逆戻りだ。
 おれも限界だった。」
「・・・ああ」

あの時のゾロの母の錯乱した様子は、まだ記憶に新しい。

「志望先を急に変えたモンで、家に連絡が入ってな。
 親父には早々にバレた。」
「おふくろさんには?」
「親父が胸に収めたまんまだ。言ってねぇ。」
「そうか───。」


いつもなら二人乗りで全速力で駆け抜ける道のりを
自転車を転がして、二人はとぼとぼと歩いた。
自分の将来ひとつ思うようにならないもどかしさが
二人の足取りを重くさせていた。

「なあ・・・お前初めてだったろ、」

突然問われて、何を聞かれているのか理解するまでに時間がかかった。
屋上での出来事のことだと気づき、ゾロは顔が火照るのを意識した。

「関係ねえだろ、」
「いや、関係大有りだ。」

「おれは女じゃねえ。初めてかどうかなんて関係ねえだろう。
 お前処女性とかこだわるヤツだったのか?」

「いや、こだわりはしねえけど…。」

サンジは口を尖らせる。

「お前がおれ以外の男にもカラダ開いたのかと思うと
 嫉妬で頭おかしくなりそうだ。」

嫉妬、という言葉に、ゾロはふ、と頬を緩めた。
むくれた表情のサンジは、子供の頃の喧嘩した後の表情そのままだ。

「けど、お前、出血もしてただろ。」

言ってる内容と表情とのギャップに、ゾロはぶっと吹き出す。

「バカか、処女膜があるわけじゃあるめえし。
 ケツなんざ無理すりゃあ何度でも切れンだろ」

「じゃあ初めてじゃねえのかよ、」
「さあな。」

認めるのも気恥ずかしくてはぐらかす。
初めてだったと言えば、サンジはまた自分を責めるだろうとも思ったし、
妬いてくれるのは悪くない気分だった。







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