さて刀ミュにハマって本編アーカイブを公演順に観てみるか~ってなったワケですが、
『阿津賀志山異聞』
『幕末天狼伝』
最初の2作は、ふ~ん・・・て感じでした。
私、刀剣乱舞のゲームで今剣と蜂須賀虎徹にはあまり良い印象を持ってなかったんですね。
審神者として、一応無理のない範囲でエピソード回収もしてるんですけど、
今剣については、岩融とのエピソード会話を見て、
「ええ・・・キミ刀剣男士なのに何言ってるん・・・」
てなってしまったんだよね。
それが志半ばの無念の死であるか、畳の上での大往生であるかの違いはあるけど、
生き物なのでひとはいずれ死ぬ。
元の主への愛着はあれど、人の手を渡り続ける刀剣の付喪神にとって、
そこは達観してる部分じゃないのかと思っていたし、
理解した上で刀剣男士として顕現してるんだろうとも思っていたので、
かなり興ざめだったんですよ。
いや男士として顕現するにあたって本刃の意思確認をしてる設定かどうかは知らないけどさ。
池田屋での加州のエピソード台詞は結構ドライだったから、
今剣は短刀で童の姿をしているから、分かってるつもりでもいざ元の主を目にしたら
そういう言動に出てしまうってこと?
それにしてもやっすいお涙頂戴だよなーって思っていたので、
ああ、あのエピソードを焼き直すのかー・・・って悟りの境地で観始めました。
まぁ、ほぼ想定通りのストーリー展開でしたね。
結局今剣は刀剣男士として元主に剣を向けるのだけれど、
むしろ終わらせてあげる方が元主のためという状況に追い込まれてだったので、
彼が答えを見つけられたのかはさっぱり分かりませんでした。
で、蜂須賀虎徹については何に引っかかってたかというと顕現台詞でして、
「キミ真作のプライドの使いどころ間違ってるぞ」って思ってました。
刀もひとも、生まれなんて選べないじゃん。
この件については幕末天狼伝のなかで、飾られ大事にされたきたけれど、
実戦に用いて貰えなかったことへのコンプレックスとして上手に描かれていて、
最終的には贋作の兄とも本丸の仲間としては悪くない関係性を築いていたので、
蜂須賀虎徹の印象は大分いい方向に向かいましたね。
まぁ鍛刀で顕現台詞を聞くたびに今でも「あぁん?」とは思いますけど。
ところで幕末天狼伝は、今剣の立ち位置は安定。
ストーリー展開も前作とほぼ同様。
この先もこの調子で「主の早逝に納得できない男士」を周りがサポートして
男士として折り合いをつけていく話なのかなぁって、
先行きに非常に不安を覚えてしまいました。
そして三作目の『三百年の子守唄』
決定的な歴史改変が為されてしまった時間軸への出陣で、
男士たちは史実との辻褄合わせのために、影武者として歴史上の人物の生を全うするという任務。
あ~歴史を守るって、そういう考え方もアリなんだ!
原作ゲームはキャラクターとざっくりした設定がある他は、
ほとんどストーリーも無いので、実質オリジナル脚本が可能なんだよね。
刀ミュの方向性みたいなものが見えてきたのかなって感じました。
あとこう言っちゃあなんだけど、実力のある演者さんを引っ張ってこれるように
なったのなって(おい)私でもお名前だけなら知ってる方がキャスティングされてたし。
お話にかなり引き込まれたし、終盤家康を看取る物吉くんの台詞にはホロッときてしまった。
刀剣男士の任務ってそういうのもアリなのか・・・。
成程号泣必至と言われるのも分かるし、2部のライブパートで強制メンタルケアされるというのも納得。
ミュージカル刀剣乱舞、面白れーじゃん!となった瞬間でした。