『Die Einladung der Rose』





柔らかな日差しと爽やかな風。

賑やかな市場の通りを歩く。



色鮮やかな果実、初めて見る野菜や魚。

自然と表情が引き締まり、厳しい目つきになっているのがわかる。

乗組員の健康を預かる身としては、どんなに念を入れても入れ過ぎということはない。

一流シェフの腕の見せどころでもある。



次第に荷物は増えてゆく。

その大荷物の陰から声がした。



「なぁなぁサンジぃ〜、ハラ減ったぁ〜〜っ!!」



おいでなすった、決まり文句。

船を降りる前にあれだけ約束したことも、きれいさっぱり忘れたか?

声を無視して歩き続けていると、また声がする。

今度は少し甘えた声。



「なぁサンジぃ〜。ど〜してもダメかぁ〜?」



立ち止まって振り返りそうになるのを辛うじて堪える。

「ルフィ、約束忘れたのか?」

少しキツい言い方で答えた。

ここで甘い顔を見せたら同じことの繰り返しだ。

・・・・・・が。

背後の気配が伝えてくる。

少し拗ねかけて、でも自分の要求は必ず叶う、と確信している視線を。



「サンジぃ〜〜。」



甘えを含んだちょっと情けなさそうな声。

(ちくしょー!! なんで俺はこの声に弱い・・・・。)



歩みを止めて振り返る。

そこにはニィーっと満面の笑みを浮かべた船長の顔があった。



「やっぱサンジは優しいよなぁ〜。ハラ減ったって言うヤツをほっとけないもんなぁ〜。」



そーくるか、このクソゴムは!

足を止めて振り返った時点でもうこの船長の思惑にハマったも同然なのだが。

それでもそう簡単にコトが運ぶと思われるのも癪で。



期待に湧く船長を眇めながらゆっくりと煙草に火を点けた。

気持ちを落ち着かせるように深く吸い込む。

とりあえず一言クギは刺してやろうと、上げた視線の先に肝心の船長の姿はすでに無い。

慌てて見回したその先に・・・。



香ばしい匂いを漂わせた大きな串焼きを受け取り、嬉しそうな船長の姿が。



「おいっ! ルフィっ!!」

サンジの声に振り返ったルフィの頬は思いっきり膨らんでいた。



「コレ、すっげーうめぇぞ!! サンジ!」



幸せそうな笑顔に、怒鳴りつけようとした気勢も呆気なく削がれた。

両手に串焼きを握り締めて交互に頬張っているルフィを見ていると、自然に口元が緩んでくる。



「兄さん、坊主の連れかい? お代を頼むよ。」

店先の親父が声をかけてきた。



「あ? あぁ・・・。」

サンジが頷くのを見るとルフィの腕がまた串焼きの方に伸びていく。



「くぉらっ!! 調子にのってんじゃねぇっ!!」

麦わら帽子の頭を軽く小突く。



「え〜!? いーじゃねぇか、あと5〜6本くらい・・・。」

「バカ野郎っ!! ナミさんからお預かりした大切な食費をこれ以上ムダにできるかっ!!」

子猫を摘むように襟首を引く。



「う〜っ、サンジのケチっ!!」

不満を露わにしてジタバタしていたルフィだったが、不意に動きを止め何かを探すように首を振り始めた。

「どした、ルフィ!?」



「なんか・・・ いーニオイがする・・・。」

鼻をひくひくさせて何かの匂いを辿っている。



「また別の食い物、狙ってんのか!? もうダメだぞ!」

「ちげーよっ!! 食いモンじゃねぇ。コレって・・・ 前にナミから匂ってたよーな・・・。」

「何っ!? お前っ、ナミさんの匂いって!?」

慌てふためいて周りを見回すサンジ。

ルフィは仄かに漂う香りが気になって首を傾げ続けている。



そこへ親父の声が。

「坊主が言ってんのは薔薇の香り、かい?」

「ん? なんか甘ったるいフワフワしたニオイだぞ?」

ルフィの答えに親父が頷く。

「よく気がついたなぁ。お屋敷はこの通りのずーっと先にあるのに。」

サンジが問いかける。

「薔薇がたくさんある屋敷なのかい?」

親父の表情が曇る。

「・・・・薔薇だけ、さ。 もう・・・・。」

「どういうことだ?」

サンジの問いに、親父の表情が変わる。

余計な事を言ってしまったと後悔するような顔つきだ。

話の先を促すようにルフィとサンジが見つめ続けると、大きな溜め息とともに渋々といった様子で話し始めた。



「この辺りじゃ知らない者は無い立派な家でなぁ。住んでたのもそりゃあ善い人達で。なのに、何の因果か・・・。」

疲れたように首を横に振って親父は続けた。

「ご主人夫妻が事故で亡くなって・・・。遺された一人娘のお嬢さんもすぐに病気になっちまって・・・。 もともと身体の弱い人ではあったんだが・・・・。」

「死んじまったのか!?」

口を噤んだ親父のあとの言葉をルフィが問う。



「わからないんだよ・・・。」

親父の声に首を傾げる2人。

「わからないって、そりゃいったい・・・?」

サンジの問いに親父は声を潜めた。

「いなくなっちまったんだよ・・・。」



「「!?」」



聞いている2人が息を呑む。



「気がついたらいなくなってたんだと・・・。どこを捜しても見つからなかった。結局誰もいなくなったその家だが、いつからかお嬢さんのすすり泣きが聞こえるとか噂も立つようになってなぁ。気味悪がられてほったらかしさ。 それなのに何故か薔薇だけが豪勢に咲いてるのさ。」



「そこって、この通りの先って言ってたよな!?」

船長の確認するような声にイヤな予感を覚えたサンジが見ると・・・。

案の定、そこには瞳を煌めかせた船長の顔が。



「なぁ、おっさん、オレたちが戻るまで荷物預かってくんねぇかなぁ?」

「おい、ルフィ!?」

制止の意を込めて呼びかけた声もサラッとスルーされて。

「んじゃ行くぞぉ〜っ、サンジ!! 荷物よろしくなぁ、おっさん。」

店の親父に手を振ってさっさと歩き始める。

事の成行きに唖然としていたサンジだったが・・・。

「おい、待てって! ルフィっ!!」

サンジが後から来るのを微塵も疑っていない背中に呼びかけながら、傍若無人な愛しい船長を追いかけ始めた。













しばらく歩いた道の突き当たり。

話にきいた通りの大きな門構えが見えた。



「うひょお〜〜!!」

「確かに立派な屋敷だが・・・。」

ルフィのワクワク声とサンジの訝しげな声が重なる。



ひっそりと影のように佇む屋敷からは薔薇の芳香だけが漂ってくる。

門扉は高く、固く閉ざされている。



「なぁ、ルフィ。入んのは止めねぇか?」

なんとなく嫌な感じがしてサンジがそう問いかけるのと、ルフィの腕が伸びて門扉にかかるのが同時で。

「先に行くぞぉ〜、サンジぃ〜〜♪」

楽しそうな声を残して、あっという間にルフィの姿は門の向こうに消えた。



「っ!? あンのクソゴムは〜っ!ひとの話をちっとも聞きやしねぇ!!」

悪態を吐きながらも、怪しげな屋敷に消えた船長を追うべくサンジも門扉を乗り越えた。







白い玉砂利の小道が屋敷に向かって伸びていた。

先に入ったはずのルフィの姿は全く見えない。

好奇心に急かされてサンジを待たずに進んでしまっているのだ。

(ま、いつものコトだけど、な・・・。)

周囲に気を配りながらゆっくりと歩き出す。



人の住まなくなった家はどこか不安な気持ちを煽る。

屋敷に近付くと薔薇の香りが強くなった。

それもそのはずで、前庭が一面色とりどりの薔薇で覆われている。

(植えた・・・っつうより、蔓延ったってカンジだな、こりゃ・・・。)

強い香りに多少辟易しながら、サンジはルフィの姿を捜す。



白い道は屋敷の手前で二手に分かれ、右側が薔薇の中へ延びていた。

(ルフィが行くならどっちだ? 屋敷か、庭か・・・。)

立ち止まったサンジの耳に微かな声が。

「おぉ〜い、サンジぃ〜〜、早く来いよぉ〜〜〜。」

ふっと、口元を緩めると足を右に進めた。



薔薇をかき分けるように歩いて行くと、目の前に現れたのは瀟洒な四阿だった。

そこも枝を伸ばした薔薇に覆われている。

建物の元の形がわからないほど大輪の花たちが咲き誇っていた。



「ルフィ、居るんだろ? ドコだ?」

声を発するだけでむせかえるような香りに息が詰まりそうになる。

「ここだぞぉ〜」

声のする方を見ると、どうやって潜り込んだのか、薔薇の枝の隙間にすっぽりと収まった赤い背中があった。

「器用だなぁ。早く出て来い。 ったく、何でンなトコに入ってんだ?」

「ん〜、出てぇんだけど、なんか動けねぇ。」

さもありなん。

行きは良い良い、帰りは怖い・・・。

サンジは軽く溜息を吐いた。

「棘にでも引っかかってんだな。今、取ってやる。」



サンジの手が薔薇の枝に触れた瞬間、鋭い痛みが走った。

思わず手を引くと、甲に一筋赤い線がついていた。

じわりと血が滲む。

「チッ、しくじった。」

再び伸ばした手にまた同じように傷がつく。

「!?」

薔薇に意志があって、サンジを拒絶しているように感じた。

(なんだってんだ、いったい・・・!?)

ついた傷に悪意が込められているかのようにジクジクと痛む。



「おい、ルフィ。何とか自分で出られねぇか!?」

サンジの問いにぼんやりとした声が返る。

「ん〜、なんか奥から声が、聞こえてくんだ・・・。」

「声!? 俺には何も聞こえねぇぞ!?」

「んぁ・・・? そ・・・なの、か・・・・。」

ルフィの声が細くなって、脱力してしまったように手足が動かなくなった。

「ルフィっ!?」

思わず伸ばしたサンジの手にまた傷が走る。



風も無いのにざわざわと薔薇が揺れる。

まるでルフィを抱き込んでいくかのように・・・。



ぞくりとイヤなモノがサンジの背を駆け抜ける。

「っ!!」

がむしゃらに薔薇をかき分けて無理やりルフィを引きずり出した。

手にも、頬にも幾筋もの傷が出来たがそれどころではない。



「おい、ルフィっ!?」

名を呼び、頬を軽く叩いてみる。

腕の中の船長は、生気の抜けた青白い顔でぐったりしたまま反応がない。

そのルフィをしっかりと抱えて、サンジは立ちあがる。

こんな所に長居は無用、だ。



周囲の薔薇が一層大きく揺れた。

まるでサンジを行かせまいとするかのように。



「俺にはお前らの“声”なんて聞こえねぇよ。こいつに何言ったか知らねぇが・・・。」

言葉を切り、腕の中の船長を見下ろす。

(いつもいつも・・・、何だってこいつはどんなヤツだろうと受け入れちまうんだか・・・)

だが、俺は・・・。

「相手が誰だろうと、俺はこいつを渡す気なんぞこれっぽっちも無いんでね!」

言い放つと、後ろも見ずに駈け出した。







サンジの背後で花が揺れ、涙を流すかのように花びらを散らしていた。





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