「そろそろ最後にするか」
「そうだな」
既に乗り物の類は2周り目だった。
もともとそれほど多くの遊具があるわけでは無い。
遊園地の締めは観覧車と二人の間では決まっていた。
幼い頃から何度と無く一緒に遊園地に出かけたが、最後はいつも観覧車だった。
遊びつかれて言葉少なにゴンドラへと乗り込み、家族と一緒に暮れ行く景色を眺めたものだった。
乗り場へとあがる急な階段を上り、回数券を差し出しと、
「兄ちゃんたち、ふたり?」と人あたりのよさそうな係員が聞いてきた。
ああ、とゾロが答えると、「さみしいもんだねぇ」と声を立てて笑い、
個室のひとつに二人を誘導する。
青い外装のゴンドラのドアを開け、
「1周20分間の空中散歩、ゆっくりとお楽しみください」
と、マニュアル通りの言葉をかけると、二人が座るのを見届けて外側からカチャリと鍵を掛けた。
ゴンドラはゆっくりゆっくり空へと上っていく。
北側に見える山並みは傾き始めた太陽を受けてオレンジ色に染まっていた。
南側に広がる市街地もオレンジ色だ。
その遥か向こう側には、県境を流れる川の水面に光が反射して、キラキラと光っているのが見える。
示し合わせるでもなく、2人は川の向こうに思いを馳せた。
ここから都心へはJR在来線の普通電車で2時間だ。
そう遠くは無いが、場所によっては通勤通学に多少の困難を伴う。
都内の大学へと進学するものの中には、家を出て下宿するものも少なくない。
自分たちの未来は、川のどちら側にあるのか。
間近に迫る夕闇の気配が、先行きの定まらない漠とした不安をさらに煽った。
空中に浮かぶ小さな個室に沈黙が降りた。
言葉も無く、互いの静かな息遣いだけが聞こえる。
サンジは唐突に、密室に2人きりだということを意識した。
向かいに座るゾロの体温すら感じられるような気がした。
鼓動が速くなり、呼吸が苦しくなる。
重苦しい空気を払うかのように、サンジは口を開いた。
「お前さ、俺に何か言いたいことあるだろ」
思ったよりも鋭い声が出た。
ずっとずっと、怖くて訊くことが出来なかったこと。
訊くなら今しかない、と思った。
ゾロは問われることを覚悟していたようだった。
眉ひとつ動かさずに答えた。
「ねえよ」
取り付く島も無いゾロの言葉に、サンジが声を荒げる。
「ふざけんな、俺に話してねぇことあんだろが」
「それはある」
「言えよ」
「言わねえ」
「何でだよ」
「言うつもりはねえんだよ」
「ふざけんな!」
埒の明かない押し問答にサンジがキレた。
サンジは立ち上がり、ゾロに詰め寄ると胸倉を掴んだ。
小さなコンパートメントがバランスを崩してぐらぐらと揺れた。
ふらついたサンジはゾロに圧し掛かるような格好で乗り上げる。
息がかかるほどの至近距離だった。
「お前俺をどうしたいんだよ、」
「どうもするつもりはねえよ」
「嘘吐け!」
噛み付かんばかりの勢いで怒鳴りつける。
イスに押し付けられた状態のゾロは、平然とした態度でサンジを見上げている。
「だったら何でもの欲しそうなツラでいっつも俺のこと見てんだよ!」
「・・・・・しょうがねえだろ、欲しいんだから」
しれっとしたゾロの言葉に、サンジは目を見開く。
「だったら・・・!!」
「・・・・・だったらどうだっつんだ」
「どうって・・・」
真っ直ぐに自分を見つめるゾロの視線に、急に頬が熱くなった。
強請るようなその言葉を口にするのが恥ずかしくて、その視線から目を逸らしながら呟く。
「・・・欲しいって、言えよ」
「だからそれは言わねえ」
「何でッ」
「・・・てめえ、ホントに意味分かって言ってんのか?」
分かってるか、だと?
分かってるから、分かってるから今まで悩んでたんじゃねえか!
「そんくれえ分かってる!」
サンジはぐいとゾロを自分の方へ引き寄せると、乱暴に唇を重ねた。
想像していたよりも柔らかく、男のものだからと言って嫌悪感も沸かなかった。
ただがむしゃらに押し当てながら、キスってどうやるもんなんだっけと考えを巡らせた。
最初は軽く触れるようなキスを。
お互いが慣れてきたら、少しずつ、深く、甘く貪りあうように。
雑誌に載っていた男女交際のハウツー特集。
まさかゾロ相手に実践することになるとは思わなかったなぁと思いながら、
内部へと侵入するべく、舌先で硬く閉じた唇の合わせ目を突付いた。
「よせ」壮絶なくすぐったさに、ゾロが腕を突っぱねて抵抗するが、
唇がわずかに開いたのをいいことに、サンジは内側へと舌を滑り込ませた。
歯列に沿ってまず上の歯茎を舌でなぞり、ぐるりと下側もなぞる。
ゾロの身体がビクリと震え、息が上がっていくのがわかる。
「おい、やめろ」
抗議の声を上げるゾロに構わず舌をさらに奥へと進入させ、逃げようとする舌を絡め取った。
付き合いは長いが、こんなところにこんな風に触れたことは無い。
息遣いと上昇し始めた体温から、ゾロが感じ始めているのがわかる。
必死に声を上げまいとしているゾロの姿に、サンジ自分もすっかり興奮していた。
口内を思うさま蹂躙して翻弄する。
堪え切れずに微かに漏れる、かすれたゾロの喘ぎをもっと聞こうと、サンジは夢中になっていた。
やがておずおずとゾロの舌が応じ始める。
迷いながらも少しずつ快楽に流されていくのが伝わってきて、サンジをさらに煽った。
一瞬唇を離し、角度を変えて更に深く口付ける。
ついに抗えなくなったのか、ゾロのたくましい腕がサンジの背中と腰へと回された。
きつく抱き寄せられて、サンジの腿に熱く硬いものが当たった。
それが何なのか、すぐにはピンと来なかった。
自分にも馴染みのある熱と感触。
それがゾロの兆しかけた肉茎であると気づいた瞬間、
サンジは無意識のうちに、わずかにだがビクリと身を引いていた。
ゾロの雄の部分が自分に反応している。
それは本能的な恐怖だった。
自分の中にある常識との間に生じる凄まじい違和感と、
禁忌を乗り越えることへの根源的な恐怖。
自分から仕掛けたこととはいえ、頭の中で覚悟していたことと
実際に目の当たりにするのとでは全く違っていた。
自分は身体の奥深くまでコレを受け入れ、女のように喘いだりするのだろうか。
それとも己のモノでゾロを犯しながら、コレを愛撫したりするのだろうか。
それはほんの僅かな逡巡だったけれども、ゾロが気づくには十分な時間だった。
ゾロは今度こそ強い力でサンジを押しのけると、唇を拭いながらはき捨てるように言った。
「だから言っただろうが。
お前はわかっちゃいねえって。」
「・・・ゾロ、俺、俺は・・・」
「だから言うつもりはねえって言ったろ
俺はお前が欲しい。キスだってしてえし、触りてえ。
裸だって見てえし、お前とそれ以上のことだってしてえんだよ」
でもそんなんお前にとっては普通じゃねえだろ。
気持ち悪いって思うだろ、変態って思うだろ。
俺だってまだガキなんだよ。
惚れた相手にそんな風に思われて、平気じゃいられねえよ。
ホントは無理やりやっちまいたいぐれえなんだ。
けど、必死に我慢してんだよ。
嫌われるぐれえだったらダチのまんまでいい。
そばに居られなくなるくれえなら、ずっと我慢してたって構わない。
だから言うつもりはねえっつったんだ。
それをてめえは何なんだよッ。
中途半端な覚悟で踏み込んできやがって!
俺が、どんだけ、どんだけ・・・!!」
搾り出すような苦しげなゾロの声。
「ゾロ・・・」
「・・・悪かったな、いやな思いさせて」
ゾロが顔を歪めて言った。
知ってる。ガキの頃から変わらないんだ。
泣き出したいのをこらえてる時の表情だ。
「出来るだけ・・・お前には近づかねえようにする。
俺はお前をそういう目でしか見れねえし、
そんなの気持ち悪ィだろ?
・・・いやな思いさせて、悪かった」
ちがうんだ、ゾロ。ごめん、ホンのちょっとびっくりしただけなんだ。
俺だってお前のことちっちぇえころから好きだ。
頼むからそんな寂しいこと言わないでくれよ、
大好きだから、ゾロ。
謝罪の言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡るけれど、
喉がカラカラに乾いて、肝心の言葉は全然出てこなかった。
「ついたぞ」
窓から下を見ると、地上がすぐそばまで来ていた。
係員の手がドアの取っ手に掛かり、「お疲れ様」というありきたりの出迎えの言葉が掛けられる。
足早に個室を後にするゾロに続いて、サンジも階段を下りた。
「ゾロ」
頑なな背中に声を掛けたが、ゾロは振り返らなかった。
夕暮れがゆっくりと迫ってきていて、余計に表情をわからなくする。
「帰るか」
少しだけ振り返ってそう言ったゾロの表情は、濃い影になっていてやはり読めなかった。
家に入ると自室へと一気に階段を駆け上がった。
「ゴルァ!チビナス!帰ったんなら帰ったで声掛けやがれ!」
祖父が怒鳴るのにも構わず部屋のドアを勢いよく閉めた。
サンジは信じられない思いで今日一日を振り返る。
自分は一体何をしたのか。
唇には今だにゾロの感触が残り、太腿もゾロの熱を覚えている。
自分はゾロが必死に守ろうとしていた一線を、考え無しに踏み越えようとした。
そして自分から踏み込んでおきながら、ことの重大さに今更のように気づいて怖気づいたのだ。
─────最低だ。
「おい、チビナス」
ドアの外から祖父が呼びかける声が聞こえた。
「ゾロと喧嘩したのか」
祖父らしくない穏やかな口調だった。
言葉は乱暴だが、いつだって細やかにサンジのことを気遣っている。
「・・・そんなんじゃねえよ」
「どうせお前が悪さしたんだろうが。早めに謝っておけよ」
ゼフはそれだけ言うと階段を下りていった。
ああ、そうだよ、とんでもねえ悪さをしちまったよ。
遠ざかる特徴的な足音を聞きながら、サンジは思う。
明日はウソップと映画を見に行く約束をしていた。
今日ゾロと出かけることを知っているから、どうだったかと訊かれるだろう。
ウソップに何と伝えればいいのだろう。
そしてウソップは、何と言うだろうか。
「・・・ウソップ、おれ、マジでとんでもねえ悪さをしちまったよ・・・」
帰り道、お互いに一言も喋らなかった。
家の前まで来て、ゾロはわずかに振り返って、「じゃあな」とだけ言った。
待てよ、ゾロ、とサンジが呼びかける声には応えず、ゾロは自宅へと入っていった。
取り残されたサンジは、ゾロとの間に見えない境界線が出来てしまったのを感じた。
ゾロがずっと守ろうとしてきた一線。
それを安易に踏み越えようとした自分。
そして今、自分たちの間には、以前のそれよりもはっきりと、
深くて堅固な境界線が引かれてしまっていた。
end.
コンパートメントⅡに続きます・・・
2009.9.13