コンパートメント

飲み物だけは温くなるので持参していない。
近くに売店が見えたので、サンジはゾロにビールを買ってくるよう言いつけた。

「何で俺が買いに行かなきゃなんねぇんだ」
「お前おっさん臭いから売ってくれんだろ。
 俺じゃ学生だってバレちまうんだよ」
 
オッサンじゃねぇ、オトナと言え。
ゾロはそう言うと小銭を片手に売店へと向かった。

そのオッサンくさい後姿を見ながらサンジは溜息をつく。
なんだかんだと文句を言いながらも、ゾロはサンジに甘い。





うららかな春の陽気だった。

周りには同じように弁当持参の家族連れが多かった。
テーブルセットなども持ち寄って、本格的にピクニックまがいのことをしている一団もあり、とても賑やかだ。

腹ごしらえを済ませた子供たちが、おしゃべりに興じる大人たちそっちのけではしゃぎまわり、
時折誰かしら転んでは大騒ぎをしていた。

自然、サンジは自分たちの小さい頃を思い出す。
自分たちもああして大人に連れられてここを訪れ、はしゃぎまわっていたことがあったな、と。

ゾロの家とはもとから家族ぐるみの付き合いだ。
サンジの両親が亡くなって以降は、ゾロの両親がサンジを気遣い、
ゾロを遊びに連れて行くときには、決まってサンジも一緒にと誘ってくれた。

幼い頃は何処に行くにも一緒だった。
ゾロと、そして、あの頃は──────。

物思いに耽るサンジの前髪を、春の風が優しく揺らす。

まるで双子の兄弟のように、いつも一緒にいた。
お互いのことで知らないことなんて何一つ無かったのに。





高校に進学して以降、ゾロの自分への態度は少しずつ変化していった。
入学当初のゾロは、サンジと殊更に距離を置き、離れようとしているようだった。

高校というところは、中学よりも学区が広がり、さまざまな個性の学生たちが集う。
家が近いというだけでつるむことの多いそれまでの友人関係とは違い、
より趣味や嗜好が近い親しい友人が出来ることも多いのだ。

クラスが違ったこともあり、サンジは少し寂しく思いながらも、
ゾロにもそんな友人が他に出来たのだろうと思っていた。
それが思い違いだったと思い知らされるまで、そんなに長くはかからなかった。

そして今、一番近い位置にいてサンジを甘やかし続けている。
決して踏み込み過ぎないように。
幼馴染の立場を逸脱しないように。

理由は分かりきっている。
サンジはそれほど鈍い人間ではない。

けれど、ゾロは何も言おうとはしない。
それが、サンジには堪らなくもどかしい。





ばつの悪そうな顔で戻ってきたゾロが手にしていたのは、ビールではなくてコーラだった。
「何だよ、酒はどうしたんだよ、」
「バレた。同じ炭酸だからこれにしておけって」
「かー、使えねぇ!」

言いたい放題のサンジにゾロはムッとした様子で缶コーラを渡した。
キンと冷えて缶の表面には水滴が付いている。
まあしょうが無えか、食おうぜ、と言うサンジにゾロが頷き、二人同時に箸を取った。
いただきます、と手を合わせ、プルトップを開けた。

ゼフ手作りの弁当は、高校生男子の食欲をよく把握した量だった。
かなりのボリュームがあったのだが、あっという間に重箱が空になってゆく。
ゾロに負けない勢いで弁当を掻き込みながらも、
サンジはゼフの料理から何かを学び取ろうとしているようだった。

サンジ自身はゼフのレストランを継ぐ気満々なのだが、ゼフの方はまったくそのつもりはないらしい。
店を世襲制だとは考えていないということが一番大きな要因だが、
サンジの可能性を自分のせいで狭めてしまうことをゼフは何より嫌っているようだ。

食材の知識や料理のノウハウをきちんと教えてくれることは無い。
覚えたいのなら勝手に盗め、というのがゼフのスタンスで、それは店の従業員に対しても一貫していた。

真剣な眼差しの幼馴染の横顔を見ながら、ゾロはまた胸がざわつくのを覚えた。
確たる夢を持っているサンジと、いまだ将来の決まらない自分。

ここから未来が分かれていくことに、サンジは何のとまどいもないのだろうか。
今までのようにずっと一緒にいられなくなることにも。
少しずつ距離が開いてゆくことにも。


お互いにほとんど無言で弁当を平らげていく。
時折サンジが、これ旨いよな、とか、ダシは何使ってんだろ、などと独り言のように呟く。
ゾロは、ああ、とか、そうだな、とか曖昧に相槌を打つ。
やがて弁当箱は空になり、サンジが手早く片付け始める。


「そういや進路調査の紙、お前書いた?」

まるでゾロの心中を見透かしたようにタイムリーなサンジの言葉に、軽い驚きを覚えながら、
いや、とゾロは答えた。

最終学年になって初めての進路調査の時期で、金曜日に用紙が配られたばかりだった。
ご両親ともよく相談して正確に書いて来るように、と教師から指示されていた。

お前は書いたのか?と訊くと、ああ、俺はジジイの店で働くからさ、とサンジは即答した。

ゾロはサンジのように明確な進路を決めてはいない。
漠然と理工系の大学に進学することを考えてはいる。
昔から機械弄りが好きで、理数系の科目の成績も悪くないので、それほど難しい選択ではない。

ただ、はっきりと将来なりたいものが決まっているわけではないし、
特にこれについて学びたい、というものがあるわけでもない。

クラスの6割くらいはゾロと同じように進学を希望しているが、中には、
この勉強をしたいからこの大学のこの教授について学びたい、
と、きちんと理由立てて志望校を決めている連中もいる。

自分にはまだそこまでのビジョンが無かった。
置いてきぼりを食らったようで、用紙を受け取って以来落ち着かない気持ちでいる。


「いちお進学だろ?」
弁当を片付けながらサンジが問う。
「まぁ、な」

「理工系だよな?G大?」
「ああ、多分な」
「なんだそれ、多分て」

サンジは軽く笑い声を立てた。
G大は地元の公立大学だ。
自宅からの通学が可能だし、両親もそこへの進学を希望している。

「東京のガッコは受けねぇの?」
「いや、記念受験はするんじゃねえかな」
「受かっちまったらどうすんの」
「さあ」

お前ねぇ・・・と呆れたようにサンジが再び笑う。

「G大だと自宅だよな。」

そうだ。お前の傍に居られる。
進路が分かれても、お前の傍に。

そんな理由で進学先を決めようとしている、自分の不甲斐なさに腹が立つ。
それでもどうしようも無かった。

ゾロは敷物にごろりと横になった。
「食ってすぐ寝ると牛になンぞ」
古臭いサンジの台詞に、ああ、コイツはやっぱりじいさん子なんだなと思う。

カチカチという音がして、煙草の匂いが漂い始めた。
高校に入ってからサンジが覚えた煙草の匂い。

煙草をくゆらす猫背の後姿を、風に揺れる金髪を、
抱きしめたいという衝動を抑えながら、ずっと見守っていきたいと願う。
それだけが今の自分の全てだった。


満腹になり、少しうとうととしていたらしい。
「そろそろ行くか?」というサンジの声にビクリとする。

「─────ああ、2ラウンド目、行くか」





2009.9.6