薄暗い室内には、雨の音だけが響いていた。
障子戸を開けると、外は春の嵐だった。
満開の桜は花散らしの雨に打たれ、時折強く吹く風が枝を揺らすたびに、
はらはらと薄紅色の花弁が舞う。
ひときわ強い風が窓を打ち、ガタッと大きく音を立てた。
「ん・・・。」
おれの背後で掠れた声が上がり、男が小さく身じろぎをした。
「いま、なんじ、」
眼が開かない、という体で、盛大に顔をしかめてコックが訊ねる。
「まだ6時前だ。寝てろ。」
「・・・うー・・・。」
こいつは寝起きがあまり良くないのだと知っているのは、クルーの中でおれくらいだ。
職業意識だけで朝早く起きている。見上げたプロ意識だ。
こうして仕事を離れて迎える朝は、目覚めてもすぐには動けずにぼうっとしている。
右腕を動かして、辺りを探っている。
おそらく煙草だ。残念ながらそこには無い。
おれは座卓に無造作に載っていたソレと、安物のライターを一緒に放った。
「寝床で吸うな。起きて吸えよ。」
「わかってるよ・・・。」
コックはのそのそと布団から出ると、胡坐をかいて煙草に火をつけた。
肩口にどうにか浴衣を引掛けてはいるが、帯はとうの昔に解け、
下穿きも着けていない、しどけない姿だった。
「おまえ、何見てんの、」
未だはっきりと開かない眼をしばたかせながら、コックは胸元をバリバリと掻いた。
「桜だ。」
「サクラ?」
「ああ。満開だったってのにな、この雨で散っちまうな。勿体ねぇ。」
「どれ、」
コックはのっそりと立ち上がり、窓際へと歩み寄った。
「ここ、二階だ。外から見えんぞ。」
「あっ、と・・・。」
慌てて形ばかり前を合わせ、コックは窓から外を見た。
窓の外は相変わらずの風雨で、ごう、と風が吹くたびに花びらが散る。
コックは眼を見張り、しばらくの間絶句していた。
「チェリーブラッサムか・・・。」
「なんだ、知ってんのか、」
「まあな。おれの故郷でも咲いてた。けど、こんなんじゃなかったな。」
「へぇ?」
「種類が違うのかな、それとも気候の違いかな、」
「どう違うんだ、」
おれの問いにコックは、一呼吸おいて答えた。
「───こんなふうに、先を急ぐように散らねぇ。」
「・・・。」
「ゾロ、おまえの故郷にも、サクラ、咲いてたか、」
「ああ。ちょうどこんな感じだった。」
「───そうか。」
コックは黙ってまた雨交じりの花吹雪を見つめていた。
普段騒がしいこの男が、こうして黙り込んでいると、
淡い色合いの金髪やガラス玉のような眼が、ひどく作り物めいて見えた。
「ゾロ」
低い声がおれの名を呼んだ。
「まだ時間、あるよな。」
「・・・ああ。」
みなまで言わせず、おれはコックを背後から抱きすくめると、再び布団へと押し戻した。
昨夜おれが白い肌に散らせた紅い咬み痕は、水たまりに浮かぶ花びらのようだった。
「ゾロ」
おれを呼ぶ声は、わずかに震えていた。
ぎゅうと背中を掻き抱く腕の強さに、おれもただ抱き返すしかなかった。
昨夜散々に蹂躙した身体を、もう一度拓かせる。
雨は止むことなく、こらえ切れずに漏れる喘ぎをただ掻き消してゆく。
了
海外、確かロンドンにも桜は咲くのだそうですが、開花期間が長くて、
日本の桜ほど”潔い”という印象は受けないのだとか。
管理人も大好きな花で、毎年絵やらSSやら書き散らしています。
あと、これには一つテーマがあって、
「直接表現なしで、どんだけ昨夜激しく情交したかが伝わるか」
どんなもんでしょ?ww
感想などいただけると嬉しいです。