月と玩具

その日の空には、バカでかい月が金色に輝いていて、
あのバカの、元からキンキラした頭が、いつも以上にキンキラしていたのを覚えている。



隣家からものすごい怒鳴り声が聞こえたのは夕方の6時を回った頃だった。
気性の激しい父親のゼフと、半端じゃない悪童の息子サンジの二人暮しで、
怒鳴りあいの喧嘩などはしょっちゅうだ。
その日も大きな物音とともに、サンジが外へと飛び出していった。

サンダルを突っかけた状態で走っていく幼馴染を窓から目撃したゾロは、
「サンジが出てった!!」と両親に向かって叫ぶと、
自分もスニーカーを履くのもそこそこに家を飛び出した。

「えっ、サンジくんまた出てっちゃったの?!
 ちょっとゾロ!ちゃんとサンジくん捕まえて来なさいよ!!」
「おー、また父ちゃんと喧嘩したのかー?サンジも懲りねえヤツだなぁ〜」

すっとぼけた調子の両親の声援を背に、ゾロはサンジを追って駆け出した。

ゾロの迷子癖は町内で知らないものは無い。
飛び出したサンジを探すのには本来ゾロはもっとも不適当な人選だ。

だが、逃げ足が恐ろしく速いサンジの後を追うことが出来るのは、
これまた神がかり的に脚が速いゾロくらいのものなのだ。
そんなわけで、サンジが飛び出した時にはゾロが追尾ミサイルよろしく発射される。





サンジが逃げ込んだ先は草原だった。
秋口のこの季節はちょっぴり夜風は冷たい。
ススキの穂が渡る風にさやさやと揺れ、月明かりにほのかに光って見えていた。
その中に一際キラキラと輝く金髪の頭を見つけると、ゾロはススキを掻き分けて近づいていった。

膝を抱えて体育座りをしているサンジの横に、ゾロはすとんとしゃがみ込む。
「なあ、どうしたんだよ、」
訊ねるゾロにサンジは答えず、じっと月を眺めていた。

「なあ、知ってるか?」
「?」
「月にはさ、ウサギがいて餅ついてんだってさ。
 餅ついてくれるウサギなんて珍しくね?
 どうやってつくんだろ。見てみたいよなぁ?
 食ってみてえと思わねえ?」


間抜け面をさらして月を眺めている2つ年上の幼馴染の横顔を、ゾロは呆然と見つめた。



 バッカねぇ、ゾロ、月までどのくらい離れてると思ってんの?
 よく考えてみなさいよ。
 あんなに大きなウサギが居るわけ無いでしょ!
 大体ちっとも動かないじゃない!

 あれはね、模様よ、模様。
 月の表面のクレーターの影とかが、丁度そんな風に見えるのよ!




現実主義の母にそう教えられていたゾロは、
いまだにそんなお伽噺を信じている幼馴染を見て心配に思った。

おいおいおい、コイツ本当に大丈夫なのかよ??
小学2年生の自分ですら知っている事実を4年生が知らなくていいのか??

隣に座っているゾロが自分のことを心配していることなどまったく気づかずに、
サンジは能天気にしゃべり続ける。

「おまえさあ、月まで行ってあのウサギ捕まえてきてくんね?」
「は?どうやって?」

「なんかさぁ、アポロとかいうロケットが月まで行ったじゃん。
 あれに密航してさぁ、」
「・・・何でおれが密航しなきゃなんねえんだよ!
 おまえが行ってくりゃいいじゃねえか」

「やだよ、ジジイに怒られるじゃん」
「はぁ!?」

勝手な言い草に怒りを通り越して呆れてしまう。

「おれは怒られてもいいのかよ!」
「いや、だって、お前ンちは怒んなそうだろ、」

ゾロの脳裏に両親の反応が思い浮かぶ。

おっ、面白そうじゃん、おれも一緒に密航しようかなぁ、
と目をキラキラさせる父と、

どうせ言ったって聞かないんでしょ、好きにやんなさいよ、
と諦め顔の母。

確かにあの二人ならば怒らなそうだ。

それにしてもアポロが月まで行ったのはいつの話だ。
最近打ち上げてるロケットはせいぜい衛星軌道の宇宙ステーションどまりで、
とても月までは行ってくれそうにない。

「そもそも月まで行くこと自体無理だろ!」

ゾロがそう言うと、サンジは口を尖らせて
えー、欲しいのになぁ、と言った。

瞬間、秋風がそよと吹いて、サンジの金色の髪を揺らした。


「─────ッ!」


金色の頭の向こう側には、大きな金色のお月様。
色白な横顔が、仄かに光って見えていた。

月明かりに照らし出されたその表情は、ひどく幼く頼りなげで、
うっかりゾロは、自分が守ってやらなくてはと強く思ってしまった。

後に筋肉質の立派な体格の青年に成長するゾロだが、
この当時は年相応に細い手足しか持たない子供で、
年上のサンジの方がはるかに力強い体つきをしていたのだけれど、
サンジのためなら何だってする、
何だって出来ると、男の子らしく強く心に決めてしまった。





何度も何度も。
喧嘩をしては家を飛び出していくサンジの後を追いかけて走った。
気まずくて帰れないサンジをその晩は部屋に泊めて。

何度も、何度も。
小さなベッドにぎゅうぎゅうに並んで眠った。
豆球の小さな明かりの下、微かに聞こえる規則正しい寝息に、
どきどきするのを初めて感じたのはいつのことだったろうか。

ぎこちなくキスを交わしたのは、ゾロが高1、サンジが高3の時だった。
一度触れてしまうと、全てはなし崩し的に加速し、それから程なく身体も繋いだ。

他人の肌を知らなかったゾロは、サンジにいい様に弄ばれた。
ごめんな、ごめんな、と言いながらゾロを責め立てるサンジの指は、
優しいけれどもひどく残酷で容赦が無かった。

図体ばかり大きくなってもサンジはまだ子供で、
サンジにとってゾロは、新しい玩具と大差なかった。

足を目一杯折り曲げた、屈辱的な姿勢でサンジを受け入れながら、それでもいいとゾロは思った。
だってあのススキの穂が揺れる月夜の版に、サンジの間の抜けた横顔を見て以来、
コイツのためなら何だってする、何だって出来るんだって決めたから。

ゾロに覆いかぶさっているサンジの肩越しに、窓から覗いていたのは、
あの日と変わらない金色の大きなお月様。

あれからちょっとだけ知恵がついたサンジは、もう月のウサギが欲しいとは言わないけれど、
本気で欲しいと言われれば、月までだって捕まえに行く。
本気でサンジに請われれば、月までだって飛んでいく。
本当のところ、ゾロに飛ばせるのは白濁した飛沫くらいだけれども。





「おッ、今日は朧月だなぁ」

月見団子を窓際に備えながら、サンジが言った。
金色の頭の向こう側に、やっぱり金色の大きなお月様。

薄くかかった雲の所為で、輪郭がぼやけていつもより大きく見える。

「お前知ってっか?
 月ってのはサ、いっつもおんなじ面を地球に向けて回ってんだって」
「・・・・・ふーん」

得意そうに話すサンジに、ゾロは気の無い返事をした、
どこから聞いてきたのか知らないが、どうせロクでもない内容なのだ。
たとえばその見えない裏側には、宇宙人の秘密基地があるとかどうとか。

「ふーん、て何だよ、素っ気なさすぎだろ、お前」

せっかく披露した知識(?)を受け流されたサンジはぷうと膨れて文句を言ったが、
すぐにまた表情を変えて続きを話し始めた。

「でさ、でさ、月の裏ッ側って見えねえわけじゃん、どうなってっか知ってる?」
ゾロは物凄ーく嫌な予感がした。

「・・・・・知らねえ」
「かー、無知だねえお前!いいか?月の裏ッ側にはな、宇宙人の基地があるんだぜ!」

「・・・・・お前、バカだろ、」
「ンだと、コラァ!?」

二十歳をとうに過ぎ、2人ともいい加減大人の年齢にというのに、
相変わらずくだらないことで喧嘩ばかりしている。

子供の頃と変わったことは、喧嘩のあとの仲直りはベッドの上で、になったこと。

腕力(脚力?)で父を越えてしまったサンジが、親子喧嘩で家を飛び出すことは
無くなった、ということ。

他はあまり変わらない。


サンジの中身は子供のままだとゾロは思う。

時折怪しげな玩具をこっそり買ってきて、夜中にゾロに試してみては、
事後に盛大な痴話喧嘩をやらかしてぼこぼこにされたりしている。

怒られるとわかっていても好奇心に勝てない部分と、
いくら殴られても全然懲りないあたりが、まだまだガキだとゾロは思う。

ころころと気分が変わるサンジは、今はニコニコと月見酒だ。
窓の外には金色の大きなお月様。

注がれた酒を引っ掛けながら、ゾロも仏頂面で月見酒だ。
ゾロだけのお月様は、今日も変わらずそこにある。

子供頃と変わらず、そのままに。




End.


去年(!)の十五夜の頃に書いてたSS
発掘したので加筆修正してUPです。

十三夜に間に合わずww

2010.10.22