桜の舞い散る中現れた男は、六花の中消えて行った

想い続けることは罪だろうか
忘れられないことは罰だろうか

降り積もる時の中で、忘れたふりをしていた想いは
あの青い空に還る日が来るのだろうか・・・・



   

Confidence of the closed shelf    〜六花の季節〜

nekorika






思春期もまだ終了していない、15の春。
暖冬の為か、桜の開花は例年よりほんの少しだけ早く。
満開の桜の下でというイメージが強い入学式が、何年か振りに散り際に当たってしまったのは仕方がないことだろう。
それは時の流れに欠片も興味のない者には、何の支障もないささやかな出来事だし、誰の上にも時は同じ速さで過ぎ去っていく。
それだけが紛れもない事実なのだから。


「おい、そこの緑頭」
突然聞こえてきた、そんな声。
確認するまでもなくその声が指し示しているのは自分のことだが、果たして何処から誰が発したものなのか。
返事に窮してそのまま立ち止まっていると、何かが目の前に現れた。
いや、正確には木の上から飛び降りてきたと言うべきか。
その証拠に、視界を奪うように桜が舞った。
「もう入学式、始まってんじゃねぇの?
テメェ老けて見えるけど、新入生だろ?」
ほれそれと、顎で指された己の胸元には、受付で貰った新入生用の花が。
なるほどこれでは一目瞭然だと、納得する自分を尻目に男の言葉は続いた。
「大体受付まで済ませてあんのに、何でこんなとこにいんだ?
会場の体育館はあっちだぜ?」
金の髪をさらりと揺らしながら指さした先には、当たり前のようにそこにある白い建物が。
あんなに探しても見当たらなかったのに、まるで手品か何かのようだ。
訳が分からないとばかりに一瞬首をひねったが、それでもとりあえずは礼を伝えるべきか。
だが、一方的にやられたままでは気に入らない。
「すまねぇ・・・・と言いてぇとこだが、そう言う自分も同じ穴の狢じゃあねぇのか?」
そう、目の前の男の胸元には自分のそれと同じものがあり、同じ立場なのは明白だ。
「誰が狢だ。
別に同じ訳じゃあないぜ。
察するにテメェはただの迷子、俺様は・・・」
「俺様は?」
「これから出会うであろう、素晴らしきレディたちとの日々を考えながらだな」
「一服してた訳か」
「うっ」
「教師に見つかる前でよかったな」
俺と会ったのが。
まるで勝ち誇った様に、そう告げた。
風に乗ってかすかに香ってくる、甘苦い匂い。
それは間違えなく煙草のもので。
今までなかったその匂いが急に香ってきたのは、この男が現れてからだ。
迷子と未成年の喫煙を秤にかけたなら、どう考えてもこちらが有利だろう。
「くそぅ、テメェ犬かよ」
「嗅覚には多少自信がある」
「だろうな」
はぁとわざとらしい溜息をついた男は、次の瞬間悪戯な子供のような顔を見せた。
人間こんな顔をしている時には、大抵ろくなことを考えていない典型のような顔を。
そしてそんな予感は、高確率で的中するものだ。
「ふふふ、よし交換条件だ。
お前が迷子だったことは黙っててやる。
その代り・・・」
「それは黙ってろってか?」
返事の代わりに、そっと添えられた人差し指の向こうで、秘密だぜ・・・・と、かすかに唇が動く。
そこに吸い寄せられるように舞い落ちてきた、花びらが一枚。
その白をなぜだか猛烈に、剥ぎ取りたい衝動に駆られた。
「あほか。
別に俺は迷子じゃあねぇし、もしそうだったとしても迷子は犯罪じゃあねぇ。
が、未成年の喫煙は明らかに犯罪だ。
バレたら入学早々停学間違えねぇな」
とりあえずは自分の中に芽生えた不可解な感情を悟られないよう、視線をそらしながらそう吐き捨てるのが精一杯。
「あほはどっちだ。
今時喫煙で停学ってなら箔が付くが、すぐ前の体育館が判らなくて迷子でしたーってのは笑われるだけだぜ?」
どうだとばかりに展開された持論に、呆れた溜息が洩れる。
まぁ、どの道そんなこと告げ口する気もなかったが、それを素直に教えてやるのも面白くない。
そんな考えを見通したかのように、男は笑った。
「んじゃあ、そういうことで了解?」
その時思わず頷いてしまったのは、その話に乗ったからでもなんでもない。
ただ・・・・目の前に舞い散る桜と、その向こうに広がる青い空に一瞬視線を奪われたからだろう。
突然目の前に現れた男の瞳と同じ色の、春の空に。


それから三年間、男とは付かず離れずの関係が続いた。
いや、他にも友人は出来たが、多分いろんな意味で一番近い所にいたのは間違いない。
一緒に笑い、喧嘩をし、空を見上げ、闇を恐れ。
本当は何もお互いのことを知らないのに、誰よりも分かりあえている気がしていた。
無類の女好き、料理好き、ヘビーに近いスモーカーで得意科目は古典と体育。
口が悪く、ガラが悪いのに、なぜか愛読書は高校生には珍しく源氏物語。
その選択は別に勉強が好きでもない、一介の男子高校生が選ぶにしては逆に斬新過ぎる。
一度だけ聞いたことがある。
なぜ、そんな話が好きなのかと。
その時、「テメェにはわかんねぇよ、このエロスと人間味にあふれた世界は」と鼻で笑われたのが悔しかったのか、ただ同じ世界を少しでも共有したいと思ったのか。
古文だけはムキになったように勉強し、あれほどちんぷんかんぷんだった源氏物語の大部分が分かるようになったのは二年の秋だった。
だが、それはあくまで物語の筋だけ。
結局あの頃は何も分かってはいなかったのだ、源氏も、あの男のことも。
だからそれまで描いていた夢が壊れた時、それを知りたいとしか思い浮かばなかった。
我ながら不純で、愚かで・・・・まっすぐな選択だったと思う。


最後に会ったのは、高校の卒業式。
名残の雪と呼ぶにはまだほんの少しだけ早い小雪が舞うその日は、男の誕生日だった。
最後の瞬間、普段あれだけ饒舌だった唇は何か言いたげに何度も動いたが、結局洩れた言葉は、じゃあな・・・・という一言。
だから同じように返すのが精いっぱいだった・・・・じゃあなと。
そして男は桜のように舞い散る六花の中、手を振りながら消えていった。
今まで見たことがないような顔をして。

それは今ではもう手の届かない、遠い日。

もしもその後連絡を取ろうとしたならば、今でもあの笑顔の近くにいられただろうか。
いや、それ以前にあの時去っていく男の腕を掴んだなら、何か一言かけたなら。
それは正体もわからないまま、あの日から数えられないくらい考え・・・・胸に沈めた想い。
このまま、一生抱いて行くつもりだった。

あの日・・・・再び出会うまでは。




「・・・・せん・・・せ・・ぇ?」
誰もいない空間に小さく声が響く。
ほんの少しだけ失っていた意識が、ぼんやりと戻ってきたようだ。
「悪ぃ、少し無理したな。
大丈夫か?」
「ん・・・・」
まだ春の足音も聞こえてこないような寒い日。
暖房も付いていない閉架の片隅で、抱き合った体にはまだ熱が籠っている。
それでも流石にこのままでは、風邪を引かせるかもしれない。
そう思って、まだ熱が納まらない自身を抜こうとした。
が。
「せんせぇ、まだ・・・・」
このままで。
甘く誘う声と、与えられた緩やかな締め付けが、その行為を引き留めた。
「煽るな・・・・って、俺が言うのも説得力はないか」
同性の教え子と職場で体を繋げるなんて。
いい年をした・・・・しかも聖職者たる自分が行っている背徳な行為。
全て分かっていて、それでも止まることが出来なかった夏の日。
あの時雨が降らなければ、境界線を越えることはなかっただろうか。
それとも、境界線など初めから存在すらしなかったのだろうか。
桜吹雪の下で出会った、あの瞬間から。
そんなことを考えていると、首に回っていた手に力がこもり、引き寄せられた。
そして耳元でささやかれた・・・・声。
「だって俺・・・・誕生日なんだ、今日」
だから・・・と。
誕生日?
あぁと納得した。
学年末テストも終わり、登校日でもない日にわざわざここに呼び出された訳を。
「呼び出すなんて珍しいと思ったら、そういうことか。
いくつになった?」
「やだな、教師のくせにそんなこともわかんねぇの?
早生まれだから、やっと十七」
「十七か・・・・・若いな」
「おやじだな」
くすくすと笑うその振動が、まだナカに入ったままの自身に刺激を与える。
それに反応を返さないほど、まだ枯れてもいない。
いや、このこども限定か。
「てめぇ、わざとかよ。
何なら・・・・試してみるか?
おやじかどうか」
「・・・・ぁ・・・ん・・・」
年寄り扱いされたよりもその若さが眩しくて、思わずずんと突き上げた。
そんな年甲斐のない行為に、どっちがこどもなのかわからないと苦笑いが漏れる。
自分の中にそんな感情があるだなんて、知らなかった・・・・・この子と出会う前は。
「ち、ちょっと、ストップ。
誕生日だから、ひとつだけお願いがあるんだ」
「なんだ?
高いもんはやれねぇぞ?」
「・・・・ううん。
何もいらねぇ。
その代り・・・・・今だけでいい、ちゃんと俺を見て」

・・・・・俺だけを

その言葉にはっとした。
今、何を言わせた?
あの頃の自分たちと同じ年のこどもに。
「せんせぇが誰を見てるかわかんねぇけど、今日だけは・・・・」
最後の方は消え入りそうな声で。
愕然とした。
この子はずっと気付いていたのだ。
心の奥底に刻み込まれ、気付こうとしなかった・・・いや、見ようとしなかったものに。
その上で何も言わずに抱かれていたのかと思うと、自分の愚かさに吐き気がし・・・・恐怖する。
それでも、今ならまだ間に合うだろうか。
あの時のように失うのは・・・・・もう。
「悪かった。
そう思わせた俺が悪ぃ。
でもな、俺が抱いてるのも、抱きてぇと思ったのもお前だけだ」
サンジ・・・・と。
「生半可な覚悟で、同性の教え子に手ぇ出したりしねぇ。
俺の持っている全てと引き換えにしても・・・・」

もう離せない・・・・

そんな大人のエゴを飲み込む代わりに、律動を再開させた。
「・・ぁ・・・まっ・・・・」
突然再開された激しい行為に、大きく見開かれた蒼い瞳。
どこかで見たその色が、自分だけを映していることに至極満足を覚えながら唇を塞いだ。
駆け上がった瞬間に上げた嬌声さえ、自分のものだと言わんばかりに。



力なく崩れ落ちた体を支えながら、再び閉じてしまった瞼にそっと唇を落とす。
まるで失うことを恐れているかのように。
いつもそんなことをしてると知ったら、このこどもは笑うだろうか。
大人の顔をしている自分が、ただ失うことを恐れていると知ったら。
「・・ん・・・・・」
ゆるりと覚醒する意識に、まだ頭が付いていかないのか。
それでもゆっくりと開いた、焦点が定まらないままの蒼い瞳がゾロをとらえた。
「・・・夢・・・・見てた」
「夢?
こんな短い間にか?」
「うん・・・・」
「どんな夢だ?」
「よくわかんねぇ。
でも若い先生がいた・・・・桜吹雪の向こうに。
呼ぶんだけど、気が付いてくれなくて・・・・・桜吹雪で見えなくなった」
「そいつは悪かったな」
「なんでかわかんねぇけど・・・・・泣いてる気がした」

・・・・先生が。

「だから、泣かなくていい・・・・って言いたかったんだ」

何をどこまで分かっているのか。
いや、何も分かっていないのだろう。

・・・それでも。
サンジは笑った。
満開の桜にも負けない花のような笑顔で。




「・・・雪か」
ふと視線を窓に向けると、曇りガラスの向こうに微かに降り落ちてくる何か。
別段この時期の雪は珍しくはないのだが、今日という日に降るということは、何か因縁じみたものさえ感じられる。
あれから、強引にサンジを自分の家に連れ帰り、そこでまた何度も抱いた。
我ながらどこかタガが外れたのを感じながら、それでも止められなかった。
何回目かの絶頂の末、かくんと意識を失った腕の中の姿にやっと我に返るまで。


雪は降っては消え、そして春が訪れる。
六花は舞い散り、やがて桜が咲く。
どんな想いも静かに、静かに降り積もっていき、そうして時は流れていくのだ。


とりあえずあの蒼い瞳が開いたなら、言い忘れた言葉を伝えなければ。
一緒に誕生日を祝える幸せを噛み締めながら。
時計の針を確認しながら、そっと口づけを落とした。



桜吹雪
若葉と青い空と紫の雲…
色彩豊かなお話頂戴しましたv
ねこさんじゃないと書けないお話ですね〜感服v
ありがとうございました! ぱた

最初、同級生設定の別の切り口のお話かと思ったんですが、
源氏物語とこういう形でリンクしてくるとは・・・!してやられましたw
思い人が、自分の中に見知らぬ誰かを見ていると知っていて、
胸に秘めたまま抱かれるサンジの健気さにグッときます。
素敵な作品をありがとうございました! ひか